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世界蹴球「秘」紳士録 FILEー6 [世界のサッカー事情]

[サッカー][目]
会長、GMなどサッカー界を動かす エグゼクティブの知られざる素顔      *ロマン・アブラモビッチ(チェルシー・オーナー)*
2003年にチェルシーのオーナーに就任し、一躍サッカー界にその名を轟かせたアブラモビッチ。だがその素性については、現在でも謎が少なくない。はたしてこのロシア出身の実業家は、いかにして財を成し、現在の地位を手に入れたのか...。

[盟友の没落を横目に政権に取り入り]
2003年7月1日、サッカー界のみならず経済界をも巻き込んだセンセーショナルなニュースが世界中に配信された。経営難に陥っていたチェルシーのオーナーに、謎のロシア人富豪が就任したのである。新聞各紙には穏やかな笑みを湛えた、不精髭の壮年の写真が掲載された。男の名は、ロマン・アルカジエビッチ・アブラモビッチいったい彼は何者なのか?実は現在もなお、世間が注目するコノ問いに、明確な答えは出ていない。それほどまでに、彼は謎が多い人物なのだ。
 アブラモビッチの経歴を辿っていくと、ロシアがいかに広大な国であるかを実感出来る。1966年、アブラモビッチはロシア南東部にあるヴォルガ川右岸の町、サラトフのユダヤ系ロシア人の家に生まれた。だが、1歳の時に母親を亡くし、父親もその3年後に建設現場の事故で他界する。4歳で孤児となったロマン少年は、ロシア北東部に位置するコミ共和国のウフタという都市に住む叔父の家族の下で幼少期を過ごし、間もなくもう一人の叔父に引き取られ、モスクワへと移り住んだ。
 高校を卒業するとすぐに兵役に服し、モスクワから90㌔離れた小都市キルジャチに赴任したアブラモビッチは、この頃に資源を元にしたビジネスチャンスに目を付けたと言われる。実際その後、モスクワの石油・ガス大学を卒業し、本格的に石油ビジネスに乗り出している。
 アブラモビッチは現在のロシアを代表するオリガルヒの一人だ。オリガルヒとは、ソビエト連邦崩壊による資本主義化の過程で生まれた新興財閥を指す。ソ連崩壊後、国有財産が私有化され、国営企業が民営化されていった混乱期に、略奪、あるいは横領のような形で狡猾に財産が増やしたのが、オリガルヒであった。アブラモビッチが大学を卒業した当時は、まさしく、そうしたチャンスをモノにできる新時代の扉が開いていたのである。
 この頃彼は、「エリツィンの金庫番」と言われた富豪ボリス・ベレゾフスキーと運命的な出会いを果たす。20歳年上のベレゾフスキーとタッグを組んだアブラモビッチは、彼が設立した石油会社『シブネフチ』の要職に就任。オリガルヒの仲間入りを果たしたのである。
 聖人、もしくは無邪気な子供のような微笑みを常に浮かべているアブラモビッチから受ける印象は、無愛想で厳しい表情というロシア人の一般的なイメージとは異なる。とはいえ、出世や仕事に関しては実にしたたかだ。断っておくが、ロシアの経済は極めて政治と密接な関係にある。例えば大統領に睨まれた人間は失脚の憂き目に遭う。実際、ウラジミール・プーチンが大統領だった頃、彼が掲げる改革に反対したオリガルヒは徹底的に潰された。その中にはベレゾフスキーも含まれていた。そんな中でアブラモビッチは、盟友の没落を横目にプーチン政権に取り入り、更に自らも政治家となって極東の最果てにあるチュクチ自治管区の知事に就任。そして2001年、ベレゾフスキーに代わり、ついに『フォーブス』誌の長者番付に、その名を連ねたのである。

[若年層の育成にも力を注ぐ情熱家で]
04ー05シーズンに50年ぶりにリーグ優勝を達成し、その後も成長を続けたチェルシー。彼らが成功できたのはアブラモビッチの存在があったからこそだ
【チェルシーを買収した際、現地メディアから多くの反発があった。ロシアのオリガルヒには大なり小なり、きな臭い闇の部分があり、これは現在のアブラモビッチにも当てはまる。また、金に糸目を付けず、選手を商品のように買い漁る強化策にも批判の目が向けられた。しかしそうした声は、ジョゼ・モウリーニョ監督の招聘を機に堅実路線へと転換したことで収まり、クラブはプレミアリーグ2連覇を達成するなど、黄金時代を迎える。
 それまでは「金持ちの気まぐれ」と揶揄されていたアブラモビッチだが、この頃から周囲の評価も変わっていった。本拠地スタンフォード・ブリッジで試合を観戦する姿はお馴染みとなり、彼の成功を題材にしたミュージカルが上演されたり、スタジアムでサポーターに担がれたりと、すっかりロンドンでの人気を獲得している。
 アブラモビッチのサッカーへの情熱はロンドン進出に止まらない。チェルシーでの成功を足掛かりに、母国ロシアの強豪CSKAモスクワへの出資を決め、『シブネフチ』をスポンサーにした。これにより、ダニエウ・カルバリョやヴァグネル・ラブなど、それまでのロシア・リーグでは考えられなかった国外の実力者がチームに加入。その年(04ー05シーズン)には、UEFAカップ優勝という偉業も成し遂げている。
 ロシア代表をEURO08のベスト4に導いた名将、フース・ヒディンクを連れてきたのがアブラモビッチだったことも有名な話だ。しかも彼は、給料から滞在費まで、ヒディンクの招聘に必要な費用をポケットマネーで賄っている。一方で、国内にフットボール・アカデミーを設立し、毎月オランダのピート・デヴィッセル(PSVアイントホーフェンのスポーツディレクター)の元へ出向いて情報を得るなど、若年層の育成にも尽力している。
 こうした彼のサッカーへの入れ込みようは、一方でイメージアップの手段、あるいは自分の他のビジネスに対する周囲からの注目を逸らすための“衝立”と見られてもいる。ただ、一般的に物静かで遠慮がちな男という印象が持たれているアブラモビッチは、実際には身近な人間以外は殆ど寄せ付けないため、その人間性を窺い知ることは極めて難しい。資源ビジネスで富を築いた資本家にしては珍しく英会話が苦手で、それが逆に幸いし、煩わしい人間関係や出会いを遠ざけている。公な発言は少なく、オフィスも持たないため、普段どこにいるのかさえ分からない。住居や別荘を至る所に所有し、自家用飛行機も2機所有。5隻ある豪華船には、防弾ガラスや弾道ロケットレーダーなどの軍艦並みの装備が整い、常に40人余りのボディーガードに囲まれている。更に、今やロシア代表の運営を左右する程の存在になった彼が、政府の内部でも影響力を持っていることは想像に難なくないだろう。
 英国TV局『BBC』のインタビューで彼は、
「多額の投資は、サッカーをよりスペクタクルなモノにする。これからも自分の資金をクラブに投入する」
 と語っている。厳に、2008年の金融危機以降、資産の6割程を失ったと言われるアブラモビッチが、それでもチェルシーを手放そうとはしていない。ロシアにおけるオリガルヒの栄枯盛衰を見る限り、彼も危うさと背中合わせであるのは確かだが、情熱に燃える名物オーナーとしての道が開けていることもまた事実だろう。】


《ワールドサッカーダイジェスト:2010.12.16号_No.329_記事》
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